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東京地方裁判所 昭和27年(ワ)4874号 判決

原告(併合事件被告) 青山勝太郎

被告(併合事件原告) 菊地亥之松

主文

一、被告(併合事件原告)は原告(併合事件被告)に対し東京都江戸川区西小松川二丁目千百三十九番地の二宅地六十七坪五合六勺の地上に存在する木造スレート葺平家建工場一棟(建坪十五坪)の明渡をせよ。

二、被告は原告に対し昭和二十六年一月一日以降右建物明渡ずみに至るまで一ケ月金七百八十円の割合による金員の支払をせよ。

三、原告のその余の請求を棄却する。

四、原告(併合事件被告)は被告(併合事件原告)に対し第一項記載の建物を収去してその敷地十五坪の明渡をせよ。

五、訴訟費用はこれを二分し各その一を被告及び原告の各負担とする。

事実

第一、(昭和二七年(ワ)第四、八七四号事件)請求の趣旨

「一、(一) 被告は原告に対し東京都江戸川区西小松川二丁目千百三十九番地の二宅地六十七坪五合六勺の地上に存在する木造スレート葺平家建工場一棟(建坪十五坪)の明渡をせよ。

(二) 被告は原告に対し昭和二十六年一月以降右建物明渡済みに至るまで一ケ月金一千円の割合による金員の支払をせよ。

二、右六十七坪五合六勺の宅地上に存在する。

(イ)  木造スレート瓦葺平家建工場一棟(建坪十七坪五勺)

(ロ)  木造板葺二階建家屋一棟(建坪一坪五合、二階一坪五合)

(ハ)  木造トタン葺平家一棟(建坪二坪)

を夫々収去して右宅地の明渡をせよ。

三、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求める。

第二、請求の原因

一、原告は自己所有の請求の趣旨第一項記載の建物(以下本件建物(甲)と称する。)を昭和十八年より賃料一ケ月につき金一千円、毎月末日持参支払の約束で期間の定めなく被告に賃貸していたところ、被告は昭和二十六年一月以降右賃料の支払をせず、そこで原告は昭和二十七年七月一日附内容証明郵便をもつて昭和二十六年一月一日より昭和二十七年六月末日に至る間の賃料合計金一万八千円を書面到達の日より五日以内に支払うこと、もし支払なきときは本件建物(甲)に関する原被告間の賃貸借契約を解除する旨催告並びに条件付契約解除の意思表示を発した。然し被告は右催告期間内に支払をせず、従つて催告期間の経過により本件建物(甲)に関する原被告間の賃貸借契約は解除せられた。

よつて原告は被告に対し右明渡並びに昭和二十六年一月以降一ケ月金一千円の割合による延滞賃料及び明渡済みに至るまで賃料相当の損害金の支払を求める。

二、請求の趣旨記載の土地六十七坪五合六勺はもと訴外大西鎌蔵の所有であり宅地二十八坪五合と池地三十九坪六勺より成り、原告は昭和十七年五月二十八日右大西鎌蔵より建物所有の目的で宅地及び池地を賃借しその後原告は池地の部分を自費をもつて埋立て岡地として引続き使用して来た。ところが被告は何らの権限なくして右岡地上に請求の趣旨第二項(イ)記載の建物(以下本件建物(乙)と称する。)を、また同じく(ロ)及び(ハ)記載の建物(以下それぞれ本件建物(丙)(丁)と称する。)を本件建物(甲)に増築し本件土地を占拠している。而して被告は昭和二十三年十一月大西より本件土地を買受け、原告に対する賃貸人の地位を承継したから、原告は賃貸借契約上の義務履行として、被告に対し本件建物(乙)(丙)(丁)を夫々収去して本件土地の明渡をなさんことを求める。

第三、被告の答弁及び抗弁

一、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求める。

二、被告が原告から昭和十八年以来原告主張の本件建物(甲)を賃借し昭和二十六年一月より賃料を延滞したこと、現在その建物を被告において占有中であることは認めるが賃料は一ケ月につき金一千円との原告の主張は否認する。また原告が大西鎌蔵より本件土地を賃借していたことは認めるがその内容については不知。本件池地の部分を原告が自費をもつて埋立てたことは否認する。

三、被告は昭和二十三年十一月大西鎌蔵より本件土地六十七坪五合六勺を含む宅地九十六坪九合五勺を買受け昭和二十六年六月八日その所有権移転登記を完了したが、右買受に当つては原告が大西より賃借中の本件土地を昭和二十三年十月三十日限り大西に返地せしめることを条件とし、これに基いて昭和二十五年一月十八日原告は大西に対し本件土地の借地権を放棄し、返地書が作成された。従つて被告が大西から賃貸人たる地位を承継した事実は否認する。

四、本件建物(丙)及び(丁)は昭和二十一年六月二十二日大西が原告の代理人として被告に増築の同意を与えている。

第四、被告の抗弁に対する原告の答弁及び再抗弁

一、被告の本件建物(甲)の明渡義務は被告の賃料不払のため原告において賃貸借を解除したことによるもので、本件建物(甲)の敷地の所有権が被告に帰するも何ら影響はない。

二、原告は被告が本件土地につき昭和二十六年六月八日所有権保存登記をする以前昭和二十五年九月二十八日本件建物(甲)につき保存登記をしたのであるから、原告は被告に対しその借地権を対抗し得るのみならず、被告は右登記ある建物のあることを知つて土地を買受け賃貸人の地位を承継した。

三、原告が返地書の作成により本件土地の借地権を放棄したことは否認する。唯被告が本件土地を大西鎌蔵より買受け昭和二十六年六月八日所有権取得登記を完了した以前、昭和二十五年一月十八日大西鎌蔵の妻世志子は原告に対し「本件土地は被告に昭和二十三年十一月売却したのでそれ以後の受領した賃料は返還する。被告は大西と原告間の賃貸借契約と同一の条件を以て本件土地を賃貸することを承諾しているから大西との契約は昭和二十三年十月にて打ち切り以後の賃料は被告に支払つて欲しい」と述べ昭和二十三年十一月より昭和二十四年十二月迄の地代金二百四十五円を返還したので、原告はその領収書を大西に渡したが、その際大西の求めにより領収書の末尾に「昭和二十三年十月三十日にて岡地二十八坪五合池地三十九坪六勺を返還する」旨附記した。しかし右「返地」は被告が前所有者大西と同一条件にて本件土地に関する賃貸借をなすことを承諾しているとの大西の妻の言を信じて記載したもので、原告が本件土地に関して有していた借地権を放棄すること原約束したのではなく新所有者たる被告は前所有者大西との賃貸借契約と同一条件を以て原告に対し引続き本件土地の賃貸借を承諾しているのである。仮に然らずとするも「返地」の記載は被告の承諾があると信じたのであるから、錯誤による意思表示で無効であり、又大西の詐欺による意思表示で取消し得べきものである。また錯誤若しくは詐欺による意思表示であるとの主張が認められないにしてもこれは原告が相手方たる大西と通じて為した虚偽の意思表示であり或は少くとも大西は原告が返地の意思が真意に非ざることを知つていたのであるから無効であり、従つて本件土地借地権は依然として原告に存するのである。

第五、被告の認否及び再再抗弁

一、原告の借地権放棄にその主張のような瑕疵があることは否認する。

二、仮りに右放棄が原告の錯誤に基くものであるとしても、右は原告の重大な過失によるもので原告みずからこれを主張し得ないものであり、又原告主張の詐欺による意思表示もしくは大西と通謀してなした虚偽の意思表示であるとしても、善意の第三者である被告には対抗し得ない。

三、本件建物(乙)の敷地十七坪は原告が大西から賃借する当時池沼であつて、建物所有の目的で賃借したものではないから、本件建物(甲)の保存登記があつても、右十七坪についての賃借権を被告に対抗できない。

第六、原告の答弁

被告が善意の第三者であることは否認する。原告は地主大西より本件土地の新所有者が被告となつたことを昭和二十五年一月に知るや同月末この点に関し被告に確めたが被告は地主であることを否認したため、やむなく原告は先に大西より返還された分と昭和二十五年三月分迄の地代を更に大西に提供したが拒絶されたので、原告は大西に対し地代を供託していたところ、被告は昭和二十六年九月三日に至り本件土地を大西より買受けたことを認めるに至つた。以上の経緯から見て被告が善意の第三者でないことは明白である。

第七、昭和二八年(ワ)第一、〇七七号併合事件請求の趣旨及び原因

一、「(一) 被告(昭和二七年(ワ)第四八七四号事件原告)は原告(昭和二七年(ワ)第四八七四事件被告)に対し東京都江戸川区西小松川二丁目千百三十九番地の二宅地十五坪の地上にある木造スレート葺平家工場一棟(建坪十五坪」を収去して右土地十五坪の明渡をせよ。

(二) 訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求める。

二、(1)  被告は訴外大西鎌蔵より宅地二十八坪五合、池地三十九坪六勺合計六十七坪五合六勺を賃借しその地上に請求趣旨記載の建物を建築した。

(2)  一方原告は大西より昭和二十三年十一月右建物の敷地十五坪を含む宅地九十六坪九合五勺を買受け昭和二十六年六月八日所有権移転登記を完了した。この買受けに当つては被告が従来大西より賃借中の土地を全部返地せしめる特約を以て買つたもので、被告は大西との間に昭和二十五年一月十八日返地を承諾しその借地権を放棄したものである。

(3)  また本件建物は土台は殆ど朽廃し、梁は波状形に一尺以上の狂いを生じ、窓は全部開閉不能の状況で戸締りもない。屋根は著しく破損し、家屋は全体として観た場合二十度近く傾斜し何時倒壊するやも知れぬ有様である。この状況は借地法第二条一項但書にいう「朽廃」に達している。

右二点より被告の借地権は既に存在しないのであるから、本件建物を収去してその敷地十五坪を明渡すべき義務がある。よつて原告は被告に対し右建物を収去してその敷地十五坪の明渡を求める。

第八、併合事件被告の答弁

一、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求める。

二、(1)  被告が大西より宅地及び池地合計六十七坪五合六勺を賃借しその地上に本件建物を建築し現在に至つていること、原告が本件建物の敷地を含む宅地九十六坪九合五勺を買受け昭和二十六年六月八日所有権取得登記を完了したことは認めるが、原告主張の如く返地の承諾をして借地権を放棄したことは否認する。原告が返地の特約付きにて買受けたことは不知。原告は所有権取得登記以前に右地上に登記したる本件建物の存在を承知しており大西より被告に対する賃貸義務を承継しているのであるから被告に対し本件建物の敷地明渡の請求をするのは失当である。

(2)  本件建物の朽廃の状況が原告主張の如き程度のものであることは争う。朽廃に近いとしても既に朽廃してしまつたものではない。仮に朽廃しているとしても原告が借家人として通常払うべき注意及び管理義務を怠り故意に乱暴に使用したため建物の通常の寿命を短縮せしめたのであり、これは賃貸借上の信義誠実の原則に背くものである。従つて原告の側から建物の朽廃を主張することは許されないと考える。結局において被告の借地権は消滅していないのであるから原告の請求は理由がない。

第九、立証〈省略〉

理由

一、原告が訴外大西鎌蔵より宅地二十八坪五合池地三十九坪六勺合計六十七坪五合六勺を賃借し、その地上に本件建物(甲)を建築し、昭和十八年以降被告に期間の定めなく賃貸していたが被告は昭和二十六年一月よりその賃料を延滞したため、原告より昭和二十七年七月一日付内容証明郵便にて延滞賃料の支払催告と賃料不払を条件とする賃貸借契約解除の意思表示を受け、被告がその催告期間内に賃料の支払をしなかつたことは当事者間に争がない。従つて当事者間の本件建物(甲)に関する賃貸借契約は催告期間を経過した後解除せられたものというべく、被告は原告に対し賃貸借終了による原状回復としてその明渡義務あること明らかである。

次に原告は本件建物(甲)の賃料は一ケ月金一千円と主張するが本件における全証拠によつてもかゝる主張を裏付けるものはなく却つて成立に争のない乙第四号証によれば、昭和二十五年十二月末現在の賃料は一ケ月金七百八十円であつたことを認めることができ、その後前記催告の日迄に原告より賃料を一ケ月金一千円に増額請求の意思表示をした事実は何ら認められないので、本件建物(甲)に関する賃料は一ケ月金七百八十円と解するのが相当である。よつて被告は昭和二十六年一月以降本件建物(甲)の明渡に至るまで一ケ月金七百八十円の割合による賃料及び賃料相当の損害金を支払わねばならない。

二、被告が原告の右借地を含む宅地九十六坪九合五勺を買受けたことは、当事者間に争がない。

よつて原告の右借地権が消滅したかどうかを検討する。

まず昭和二十五年一月十八日原告が、昭和二十三年三十日限り、岡地二十八坪五合池地三十九坪六勺を返地する旨記載した書面を作成し大西に渡したことは当事者間に争がない。然しながら、成立に争のない乙第一号証、証人大西世志子、(第一、二回)の証言原告及び被告(第一、二回)本人尋問の各結果を綜合すれば次の通りの事実が認められる。

大西鎌蔵は宅地及び池地合計六十七坪五合六勺を原告に昭和十七年より賃貸し使用せしめていたが昭和二十三年十一月頃被告との間に右賃貸地を含む宅地九十六坪九合五勺の売買契約成立したので、疎開中であつた原告が上京した頃即ち昭和二十五年一月十八日原告の方を訪れ原告に賃貸中の土地を含む自己所有地を被告に売渡した事情を話した。そして昭和二十三年十月三十日限りで地主が変つたのであるからと述べて従来原告から受領した昭和二十三年十一月より昭和二十四年十二月分迄の地代合計金二百四十五円は原告に返却し、昭和二十三年十一月以後の地代は新地主たる被告に支払つて欲しい旨を告げ、土地を被告に売渡した以上最早原告との賃貸借関係はなくなつたことをはつきりして置く意味で、右金員の受領証の末尾に「岡地二十八坪五合、池地三十九坪六勺を昭和二十三年十月三十日限りにて返地する」ことを付記せしめた。

右認定によれば前所有者大西が返地の記載を原告に求め、之に対し賃借人たる原告が返地を承諾したのは、賃借中の土地に関する賃貸借契約を合意解除し、借地権を放棄するというよりは、寧ろ土地の所有者が変つたので旧所有者たる大西と原告との関係が無くなつたこと、従つて地代は今後新地主に支払うべきことを明らかにするための趣旨、程度のものであることが窺われる。被告は土地の買受けに当つては大西が原告に賃貸中の土地を昭和二十三年十月三十日限り返地せしめることを条件とした旨主張し、被告本人も「大西が原告との関係を一切始末してくれる」ということを信じて土地を買取つたと述べているが、被告と大西との意思の齟齬はともかく少くとも原告と大西との間においては返地の意味するところは右の様に地代の支払先の変更程度のものであつたと解せざるを得ない。この点については、原告が借地地に本件建物(甲)を所有し被告に賃貸中であるに拘らず、これを収去して大西に返地することを承諾する原因と目すべき特別の事情が何等認められないことも参酌すべきである。

ところで前記受領証の未尾には前記のとおり明らかに「返地」の文言が記載されており、原告によりその真意と異る表示がなされたことになるが、証人大西世志子の第一回の証言の推移からも窺われるように、同人もまた賃貸借関係が買主たる原告に移転すること借地権を放棄することとの差異をほとんど理解していなかつたことは疑のないところであり、被告もまた原告が借地権を放棄すれば賃借中の本件建物(甲)を退去してその収去に協力しなければならなくなる筋合であるに拘らず、何等これに想到していなかつたことは弁論の全趣旨から認め得られるところであつて、これらの事情に鑑みるときは、法律知識に乏しい原告がかゝる誤りに陥つたからとて、これを重大な過失というにはあたらない。

従つて原告主張の他の抗弁をまつまでもなく、原告が本件土地(六十七坪五合六勺)に関する借地権を放棄したと断ずるのは早計である。

三、次に本件宅地上の原告所有の建物が朽廃に達したか否かに付き判断する。

成立に争のない乙第五号証、証人安達栄作、同大畑進三の各証言並びに原告及び被告本人(一、二回)尋問の結果と検証の結果を綜合すれば次の通りの事実が認められる。

本件建物(甲)は昭和十七年頃の建設にかゝり当時としては中等品の資材を用いてなされ、和式造り一棟一戸建工場向構造のもので基礎は土台下所々に飛石を据え、屋根は切妻形の波形スレート葺で外壁は杉材で日本下見張り一部モルタル塗り、内壁は真壁に漆喰塗り、天井は野路板なしの屋根裏天井、床は叩き土間、用材は日本杉松材等を主とし造作其の他工匠は急造のバラツク式普請であつた。原告は当初牛小屋として使用するため建築したが周囲に住む者から反対を受けたので、工場として被告に賃貸し爾来被告が工場として使用して来たが、昭和二十八年五月七日における本件建物は湿地の上に建てられ(附近一帯地沼を埋立てた低地である。)基礎簡易のため土地の沈下と共に建物も傾斜しその程度甚しく、屋根は所所雨漏りのため内壁は殆ど落下し、土台其の他外壁等も腐触し、破損箇所が多い状況となり、次いで昭和二十九年三月二十五日現在においては、本件建物の作業場として使用されている部分は羽目板に手入れのあとなく、硝子障子も殆どなく、スレート屋根は著しく損傷し内部から天井が空いて見えるし、また東西において著しく北方に傾斜していることが一見明瞭であり、更に南側の中央部がふくれて傾斜し、四寸角の支え柱二本が隣地よりあてられていた。その部分の壁板は荒目に釘付けてあり諸処に荒壁下の竹の編んだのが露出し、作業場の土台は殆ど腐朽し、事務室に宛てられた部分はモルタル壁であつたのが見えるがその北壁が殆ど剥げ落ち、下板が露出している情況であつた。

右認定によれば本件建物は通常の寿命に比して相当その破損の度が甚しい様に見受けられ、本件建物の建設者たる安達証人の言に徴してもこの趣旨のことが窺えるが、当初の建築の目的が住居としてでなく牛小屋として使用する積りであつたこと、戦時中の建設で資材が必ずしも良質のものが得られなかつたこと、附近一帯湿地であること、その後の使用保管状況によつては朽廃の度が著しいことも考え得ることなどから本件建物が右の如き状態に至つたことも自然の帰結といい得るところである。

右の如き建物の状態が借地権消滅原因たる「朽廃」の域に達したと見るべきや否かを考察するに借地法は個人間の利害を調節するに止らず、建物の所有を目的とする借地権者を保護することによつて宅地の社会経済的利用関係を維持し、建物の社会経済上の効用を十分発揮せしめることを目的とするものである。従つて建物の命数が既に尽きその社命的効用を発揮し得なくなれば最早借地権者を保護する必要がなくなるのであり、これを借地権の消滅原因としても当事者の意思に反しないのみならず社会経済生活の破壊ともならない。借地法における建物の「滅失」がその借地権を消滅せしめず、「朽廃」のみが唯一の借地権消滅原因となるのも「朽廃」が建物の社会経済上の効用を解消し借地権を保護する必要がなくなるがために他ならない。この点から「朽廃」とは単に物理上の使用不可能或は倒壊を意味するものではなく、建物に生じた物質的腐触により建物としての社会経済上の効用を喪失する程度に達したと認められる場合を指すものというべく、換言すれば、建物構造各部の資材の腐朽或は壁の剥離のみでなく構造の要部に腐触損傷を生じた結果建物を全体的に観察して最早構造上の意義を失つた場合であり、建物保存のために為される通常の修繕によつてはその存続が不可能といえる情況を指すものと解すベきである。かゝる観点から本件建物の状況をみると通常の修繕程度でその寿命を延長し社会的効用を完うしうるものとは到底考えられず、而も検証当時より本件口頭弁論終結時迄に約一年も経過している点も考慮すると、本件建物は「朽廃」の域に達したと解するのが相当である。従つて原告は建物の朽廃によりその借地権を失つたものである。原告は仮に本件建物が朽廃しているとして被告がその保管義務を果さないがためであつて、「朽廃」により借地権が消滅したと主張することは信義誠実の原則に反する旨抗争するが、「朽廃」の原因が保管義務の懈怠によるとの立証もなく、また被告が保管義務を懈怠したとの事実も認められないし、一面原告はむしろ賃貸人として修繕義務を負い、保存行為をなすにつき被告を同意せしめる権利がある(民法第六百六条、第六百七条)のであるから、これらの関係をも参酌すればこの点に関する原告の主張は採用できない。

よつて原告の本件土地に関する借地権は消滅したものであり、借地権に基いての原告の被告に対する建物収去土地明渡の請求は理由がなく、また併合事件における被告の原告に対する請求は正当である。

五、以上の通り原告の家屋明渡及び金員支払の請求については一部正当であるから主文第一項の限度においてこれを認容し、その他は理由がないから棄却することとし、併合事件における被告の請求は正当としてこれを認容し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第九十二条を適用して主文の通り判決する。なお仮執行の宣言は事案の性質上これを附することは妥当でないと考えるので、いずれもこれを却下する。

(裁判官 近藤完爾)

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